奥村まことのブログ 吉村順三先生に学んで

 

ブログの最終回「私見 愛知芸大の建物の行方」を読んで      

2015年11月

奥村まこと様


今年の流行語大賞の候補の一つに「白紙撤回」があがっていました。あの「白紙撤回」に私も拍手したものの、かつての国立競技場はすでに壊されてしまっています。なにか空振りのような虚しさがあります。白紙撤回に至るまで「神宮外苑と国立競技場を未来に渡す会」の方々の情報をいつも頂きながら、その行方を見守っていましたが、この運動のそもそもは「国立競技場を壊す必要は無く改修増築をして、現時点で求められている機能を満足することが出来ないのだろうか。」といった問題提起から始まっているのではなのではないかと理解していました。

今年は、世界のファンから惜しまれて壊されるホテルオークラの話題もありました。そんな時、具体的に声をあげて反対運動をしている方々を本当に尊敬しながら、日々の仕事のために行動が伴わない自分を、どうしたものか。と思うことがあります。ただ、もしも当事者になった時には、そんな私も、何をさておき反対運動をするのではないかと思います。篠田望さんとは、まことさんご紹介でお友達になることができました。本当に有難うございます。素晴らしい縁を頂きました。篠田望さんも、母校の問題として、すなわち当事者として、本気になって行動を起こしたのでしょう。


まことさんが、愛知芸大を、「中京のおかあさんでなく、東京のおとうさんがつくった。」と表現されました。確かに建築の、特に公共建築のつくられ方は少なくとも地元のおとうさん でさえなく、東京のおとうさんがつくることが多いです。

思い返せば、私が8年間勤務し準備期間を入れで10年以上かかわった「岐阜県立森林文化アカデミー(以下 アカデミー)」も東京のおとうさん(建築家 北川原温氏)が設計した学校です。まことさんのその表現を読んだとき、真っ先に私は (アカデミーは北川原さんがおとうさんで、私がおかあさんかも。)と思ったのです。

アカデミーの施設群は全て木造だったことから、すぐにメンテナンスが必要でした。隠さず書きますが、木のことをまるで知らない建築家がつくると、すぐに腐り、すぐにシロアリの餌食になります。学校の事務局(岐阜県の役人)は「何とかしてくれ!」と私に抗議するといった勢いでした。私としたら「私が設計したのではない!」とふくれ面をしながら、でもこの学校で暮らしていると、本当に良い空間だ。本当に素敵だ。と思う気持ちが勝って、彼(北川原氏)の足りないところは私が何とかしよう。という気持ちになってしまっていました。他の木造建築教員と一緒に、建物メンテナンスを授業に組み入れていき、それらが発展して、「建築病理学」に出会い、そして現在の「住宅医育成」の活動に発展していきました。少しどこか抜けているおとうさんを陰で支えていきながら、大事なことをみつけた。と言ってもいいのかもしれません。(もしこれを北川原さんが読んだら激怒するかも。目に触れないことを祈ります)

当初、県の役人は「だから木造は困る。できてからもメンテナンスでお金がかかる。」とブツブツ言っていました。そんなネガティブな評価を、どうしてもフォローしたい。という「木造愛」もあったのかもしれません。そう。すべてが 愛なのではないかと思うのです。


私がアカデミーに8年間いる中で、メンテナンスを授業に組み入れたことが影響したのかどうかは解りませんが、学生みんなが、学校の施設や木の空間が好きで、そして自慢で、さらに言えば愛を持っていると、今、推測しています。木造という何かにつけて「弱い」と思われ、ネガティブ評価を受けている建築だからこそ、いたわりなのか何なのかわかりませんが、愛を持ってくれるのではないかと思うのです。(この仮説は、いつか証明しなければなりませんね…)だからといって、みんな手放しに「大好き」という訳ではなく、「寒い」「不便」「暗い」さらに「有名建築家の作品だから」といった文句は日常のように飛び交いますが。


私がおかあさんのつもりでいるアカデミーも公共建築。いつ世の中が変わって県が手放すことになり、壊される計画が起こらないともかぎりません。そうならないように今から警戒し、そうなった際には 何をさておき、阻止しなければなりません。愛知芸大の顛末を拝読し、その意を強く持つこととなりました。

今、篠田望さんも引っ張り込んで勉強している木造建築病理学。

「住宅医」の活動は、多くの人が簡単に建物を壊さないようになる運動と言っていいと思います。建築の病気は治るのですから。


今回、アカデミーの例を書きましたが、このときの私、おかあさん とは ユーザーであった訳です。少なくとも、私は木造を何とかしなければ。という「意地」があるユーザーであったと言っていいのでしょう。でも今後は、多くのユーザーが 私のような意地だけでなく、文化論に基づき、もしくは社会論に基づき、かしこいユーザーになっていくようになっていくでしょう。そのためには、やはり様々な場面での教育が必要なのではないかと思います。だからこそ、これから10年後20年後の未来には、古い建物ほど、尊敬され、愛される時代になるよう、今、出来る限りの活動をしていきたいと考えています。


2015年11月30日 三澤文子