奥村まことのブログ 吉村順三先生に学んで

 

「私見 愛知芸大の建物の行方」        201508記 奥村まこと


2015年9月

 私、この度病気になり、療養中であります。やっぱり意見は述べたいと思ってこの文章

を書き、長い間お世話になった篠田さんのサイトを退きたいと思います、これを読んでど

う想われるかは皆様にお任せします。あくまで私見であることをお断りしてお許しを得た

いと思う次第です。


 愛知芸大は1964年、ときの愛知県知事、桑原幹根さんの発案により、その規模・構成

を含めた企画全体が東京芸大の美術学部建築科教授会に発注されました。 即ち、美術学部

は何科と何科をつくるか、音楽学部には何科と何科をつくるか、教授は何名、学生数は何

名、そして校舎の面積はいくら、というような細部に亘る計画が相談されたのでありまし

た。東京芸大は、姉妹校が出来るというので親身になり、嬉々としてその仕事に関わるこ

とになったのです。教授連は完成したばかりの新幹線に乗り、広大な敷地を桑原知事の案

内で歩きました。中央の南北一直線の尾根の上に、音楽・美術共用の講義棟を置き、知事

が言われる「ここから見える尾根に囲まれた12万坪」の東側に音楽、西に美術の全体構

想をまとめました。森の中に点在する教職員住宅も、湧水によるため他の大きな水面も、

中央講義棟が、そこに近づくまで見えずに突如、姿を現すアプローチも、そんな関係者各

位の盛り上がる機運の中から生まれました。櫓を組んで昇ってみたり、ヘリコプターで上

空から眺めたり、名古屋大学の地質学の先生から教えていただき、自然の水の流れや地質

の特徴も知りました。

 かくして生まれたのが愛知芸大なのであります,今にして思えばその出生の形に、一つ

の哀しさがあった、と言えないてしょうか。そうです,名古屋のお母さんではなく、東京

のお父さんが作ってしまった、のです。そのため、愛知芸大の大学キャンパスのデザイン

は中京地域の人々に心からの共感もって迎えてはもらえなかった。

 全体の設備的な関係も、一つ一つ建物の機能的な解決もよく考えられており、自然の風

景に合わせた各々のデザインも、その変化ゆえに違ったスケール感をそなえて、各棟の間

の空間を楽しく演出しているのですが、ガツンと一つの迫力を持たないのが特徴であると

同時に欠点ともみなされる結果になっている、と思われてしまった。その故か、あるいは

公共建築全体に言える無責任感覚のせいか、愛知芸大は建築当初より50年にわたって殆

とまともこメンテナンスというものを為すことなく、ひたすら老朽化して行ったのでした。

そもそも建築業界は、建築家も含めて、建てた建物を「壊したい」のです。2015年7月の

ある日、安倍総理大臣は、2年前に決めた国立競技場の建て替え工事の計画を、「白紙に

戻す」と、爆弾発言をし、その日のTV番組に出た、元総理の森さんは「なにしろ老朽化

していて建て直さなくてはならない時間にきていましたからね」と言うのでした。たった

50年しか経ってないんですよ。バッカヤローな話ではありませんか。

 日本建築学会も、建築家協会も、建築士会も、新建築家技術者集団も、建築家の為すべ

き業務として ①基本設計 ②実施設計 ③現場監理 の三つのあとに、④保守監理、というものを掲げていません。 建物にとって最も大切なのは、実はこの「建てたあとのめんどう

見」であることは、ユーザーにとっては歴然と認識されていることです。その仕事は、面

倒で複雑で、お金になりにくいから商売人はさけているのです,愛知芸大もご多分に漏れ

ず、淋しく朽ち果てる運命を担わされて生まれた不幸な子供てありました。そこで、2007

年の国公立大学法人化の際、何らかの経済的ルートの動きが見えてきたのです。先ず第一

は、駐車場を潰してプレハブ校舎5練の増築。これは確かに意味がありました。大学院が

出来て校舎のスペースが欲しかったのです。ま、プレハブで面積を確保しておけば増築要

求の根拠になる、と。しかしこの時、美術学部の教員宿舎を大学院用に用途変更したのに

は別の意味がありました。即ち、法人化により「大学構内には学生・職員の宿泊施設を

作ってはならない」という変な決まりが出現。しからば、女子寮も外人公舎も、あっては

ならない施設である。しかし、女子寮は現実には必要。そこで、森の中に点在する職員住

宅を半数壊し、その土地を民間に貸与して、民間経営の女子察を建てました。ひどい設計、

とは誰も思わなかったのでしょうか。外人公舎も壊して、そのあたりに巨大な「新音楽

棟」の計画が持ち上がり、女子寮も壊して、新音楽棟の工事現場のための資材置き場とす

る、という計画。残った半数の職員住宅はライフラインが撤去され、朽ち果てるのを待つ

死骸と化した状態てあります。将来「新美術学部棟]を建てるための土地として確保され

ていうようです。一方、旧音楽学部棟は空き家となり、わずかに管楽器の人たちが音をた

てています。そのうち費用が出れば壊すのでしょう。そもそも新音楽学部練がなぜ必要に

なったかと言えば、今までの音楽棟は ①部屋の面積が小さい ②天井高さが低くてヴァイオ

リンの弓が当たる ③場所が遠くて行くのが大変、という理由でした。近くになった音楽学

部棟にとって、その近くにコンサート練習棟も欲しいし、オペラも出来る奏楽堂も欲しい

ので、次なる計画としては、①今の学生会館を壊して、あのあたりに講義棟を建て ②現講

義棟を改修して本部棟にし、③現事務棟とその隣の、あとから作った講義棟を壊してコン

サートホールを新築する ④学生会館をどこに作るかは未定 ⑤奏楽堂はいずれ壊す。狭いし、舞台袖の扉がうまく動かないし、残響時間が長くて最近の演奏にはむいていないから。

 おい、おい、おい。どうする気なの。全体計画はあるの? と訊ねると「そーですねエ。

全体計画をここらで決めないといけないですよねエ」という答えであった。一連の工事計

画を進めるための、「検討委員会」がつくられたが、前向きの(建設的な)意見と称する

もの以外は、すべて採用されない形骸化した形式の委員会であった,かくして現在に至り、

カワモズクとスズカカンアオイを代表とする、自然の水流に守られた、各棟の間にあった

変化に富む空間は、次々と潰されて行く運命となりつつあるのであります。不幸な生い立

ち、と言ってしまってよいものか、大いに疑問が残されています。

 現学長は、初めての愛知芸大卒業生であり、キャンパスの自然を守りたい気持ちは人一

倍ある方であります。しかし、法人です。利益尊重の仕組みにさからうことは出来ません。

 愛知芸大を親しみによって育ててくれる人は、いない。