奥村まことのブログ 吉村順三先生に学んで

 

見えるということ

2013年9月03日

最近、気になることがある。せっかく窓を作っても、その窓から外を眺めるーー外と自分が一体となるーーことよりも、人に見られていると思うと不安になるのでカーテンやブラインドをしめる、と言う人がいることだ。更に進んで、外の人から見られていると思う人がそこにいるといけないから、その窓の前を通るときに気を付ける、というに至っては、その気の使いように驚いてしまう。音が漏れるとか、外の音が入ってくることを避けたいという話はわかるが、見えるということが落ち着きを妨げるという感覚がどうも腑に落ちない。

吉村先生は建物を計画するとき、何よりも先ず外と内の一体感を考えた。景色の命ずるところに従って建物の方向を定めた。そういえば昔、京都の国際会議場のコンペのとき、ステージの後ろの壁がたて軸回転の連続窓で、サーツと全部透明になって比良のやまなみが見晴らせるというデザインは審査員諸氏にうけなかったことを思い出す。奏楽堂の南北の窓から、空や景色が見えるのは、やはり容認されないのだろうか。