過去の建築、歴史的な建築、そしてこれから私達がつくろうとする建築を壊してはならない、という話をするんだったね。


もし、私達が今つくろうとするしているものを将来壊してしまうのであれば、どうしてつくる必要があるでしょう? これが、まず 第一。これはあなたも同じ考えだと思います。


建築とは、複雑に入り組んだ要素のなかに展開する、必要 の表れですが、同時にそれを設計した人やそこで生活した人々を表現するものでもあります。それを壊す というのは、理性的な判断をすれば、ばかげたことだと思います。


日本にあった 本当に有名なフランクロイドライトの建築1)は、壊されてしまいました。 いま、私たちには、もうその建築を観に行く楽しみもなければ、日本においてその後、この建築があることによって得られたはずの知識や経験の発展をみることもできなくなってしまいました。これも建築を壊してはいけない理由のひとつです。


もう一つ強く思うことは、建築を壊すということは、一つの詩を捨て去ることなのです。詩は、多くの印刷物によっていつまでも伝えることができますが、建築は、一度捨て去ってしまったら、もう二度と手にいれることはできません。


それから、先人に対する尊敬、これもとても大事なことです。ただの建物ではない優れた建築、歴史的に価値のある建築、未来に伝えるべき価値のある建築を尊ぶ気持ちです。


古い建築の話をすると 谷崎潤一郎の小説2)に描かれているように、伝統的な日本家屋は、とても美しい。でも、新しい家のほうが快適、ということはありますね。私たちには、技術的な進歩を取り入れて、建築を更新していかなければならない、という課題があります。


ここ、イタリアには中世からの住宅、建造物、宮殿、数多くの建築、古い町並があり、私達は、それを保存していく責務を負っています。私達は、歴史を重ねるなかで 建物や住宅、それに伴うさまざまな価値を理解してきたのだから、それらは守っていかなければばりません。

イタリアには、私たちが歴史のなかでつくりあげてきた価値ある建築、芸術作品、壁画などが傷んで失われてしまうことがないように守っていくための制度、組織ができています。もちろん、これらの保存にはバランスや調和が必要で、ここが最も難しいところです。

世間には、 理解できていない事柄に対しても判断を下す人たちがいます。彼らは、観念で行動しているのです。必要なのは観念ではなくて、理解であり文化であり何といっても事物にたいする愛情なのです。

ここまでは、改修の技術について話す前の前置きでした。


いかなる時代の建物、または建物を構成する要素には、それをつくった人々の歴史が刻まれています。これらの人々は、自分の持つ知識や熟練の技を発揮して建物を完成へ導いたのです。ですから、改修するためにはこのような技を本当によく知ることが必要です。


しかし今日建築物を再生させるためには、現代の建築と同等の機能をもたせなければなりません。

私達は、10年前からベニスのアカデミア美術館の改修を行っています。技術的な解決策として私達は、室内の環境、温度、湿度の調整と有害物質を浄化する設備を開発しました。人のためではないですよ、展示される芸術作品のための環境です。私達は、その結果に大変満足しています。過去の技術ではできなかったことが、今可能になったのです。当然この技術は、古い建物に取り入れられました。私がここで改修している古い建物とは、19世紀、15世紀、14世紀、一部には、その後の西洋建築、権力を象徴するべき建築に大きな影響を与えたパラディオの建築3)があります。

パラディオの様式は、英国から海を渡りアメリカへ伝わりました。もしパラディオの建築が失われていたなら、1700年代後半から1800年代はじめのアメリカの様式が失われていたなら、私達は、人類の歴史の一部、知識の一部を失っていた事でしょう。


また別の計画では、私達が何年か前に設計した建物のコンクリート部分の改修技術について研究しています。鉄筋コンクリートは、素晴らしい素材とは言えないけれども、他の素材や加工技術に比べて、形の自由度があり施工も複雑でなく、経済的です。表面は水に強いようにみえますが時間がたつにつれ水蒸気がはいりこみ、鉄筋が錆び、割れが生じます。また、鉄筋コンクリートのもつ構造的な要素もあります。構造から生まれた形態を損なうような改修はできません。

つまり、その都度、技術的側面だけでなく造形の部分でも解決しなければならない問題があるのです。だからこそ、まず第一に建築を愛し、敬い、他の人の設計した建築を保存していくことに自分のもっている知識のすべてを注ぎ込むことができる人々が求められるのです。

これこそが、先人(私にも一人いますが)4)への敬意にほかならない、ということですね。


1)1968年に解体された帝国ホテル

2) 陰翳禮讚・イタリアではスカルパ系の学生は読む事を勧められる。

3)アカデミア美術館、美術学校の東館はアンドレア・パラディオ(1508-80)による。

4)先人は、イタリア語でPADRE(父)私にも一人いるとは、カルロ・スカルパのこと。

 

トビア スカルパに聞く                      ascoltando Tobia Scarpa 12.2010