愛知県立芸大の「保存」について
愛知県立芸大の「保存」について
2012/06/02
東京工業大学大学院教授 藤岡洋保
愛知県立芸大の建物は保存されることになったと聞いていましたが、篠田望さんのサイトを拝見すると、その実態が「保存」と呼べるものなのかどうか、疑問を感じましたので、以下に私の見解を述べてみたいと思います。
「建物の保存」という言葉はよく耳にしますが、その意味するものはかなり曖昧です。建物の一部だけを残して「保存」したといわれることもあれば、極端な場合には、一度取り壊したものを再製してイメージを「保存」したといわれることすらあります。ですから、何をもって「保存」というのかを考える必要があるわけです。
私は、歴史的建造物の保存のテーマを、以下の3つに分けて考えています。
1)なぜ残すか(建造物保存の意義)
2)なにを残すか(保存の対象)
3)どう残すか(保存の手法)
まず、1)の「なぜ残すか」についてですが、その意義は、既存のモノに意味づけをしつつ、それを継承していくことにあると考えています。その意味づけ、つまりどこに残すべき価値を見るかが肝要ですが、それはその建物を取り巻く状況や時代によって変わり得ます。その価値は専門家が一致して認められるような自明のものではなく、「発見」するものです。それはそこで新たな文化価値を生み出しているということですから、「残すことはつくること」になるわけです。別のいい方をすれば、既存のモノの再解釈が未来をつくるということです。先人の業績に敬意を払いつつ、そこに新たな価値を加えて継承していくという行為だということでもありますが、それは人がよりよく生きるために当然のことであるはずですから、歴史的建造物保存の意義をそこに認めることができますし、よりよい未来をつくるためにはより多くのいい建築が残っていることが大事だということにもなります。過去がなければ未来もないのです。
建物を残しつつ、あるいは一部を変更しつつ残す場合においても、既存の建物のどこに価値を見て、それをどう継承するかを考える必要があります。これは既存の条件を尊重しながら新たなデザインを加えていくという点で、やはり「残すことはつくること」になります。よく、都市景観への配慮と称して、外壁だけ残して後ろに高層の建物を建てることが行われますが、外壁とその内側の空間にはほとんど何の関係もなく、木に竹を接いだようになりがちで、既存部分は設計の制約になっているだけですから、「建築のあり方」としては疑問です。建物を改修して残しながら新しい活用法を考えるということは既存のモノや価値を尊重することから設計をはじめるという創作の方法です。それは、更地に新築という通常の建て方においては得られない創作の手がかりが見える機会でもあります。つまり別のスタートラインを設定することから見えてくる新しいデザインの可能性をすくい取れる好機でもあるのです。
このようなことが了解されれば、2)の答えは簡単です。残すべき価値が認められるならばなにを残してもいいということです。日本の文化財保存のやり方は、俗に「厳選保存」といわれます。少数のものだけをしっかり守るという意味です。
文化財建造物は、京都や奈良などにあるもので非日常的なものと見られがちです。このような見方は、国レベルでの最初の保存関係の法律である「古社寺保存法」(1897)からの運用の仕方が関係しています。国の予算が潤沢ではなく、古社寺の保存修理にあてられる予算が少なかったために、結果として「厳選保存」になったということですし、社寺建築中心になったのも、当初の法律がそれだけを対象にしていたからです。別のいい方をすれば、社寺中心の「厳選保存」は歴史的に形成されたもので、絶対的なものではないのです。
3)を私は「ハードに関わる手法」と「ソフトに関わる手法」に分けて考えています。
「ハードに関わる手法」というのは耐震補強や、設備の新規導入や更新など、建物の保存に際して必要になる技術的な対応を意味します。「保存」が難しいことの理由として「老朽化」や「耐震性能不足」がよく挙げられますが、それらは建物の維持を不可能にするものではありません。技術というものは目標を与えられればそれに対応する手法が用意できるというものなので、デザインを変えずに老朽化した箇所を補修するとか、建物の価値を維持しつつ耐震性能を上げるという目標を与えられれば、ある条件下での対応策はあり得るのです。保存を阻む本当の理由は、技術にではなく経済性にあります。技術的には可能だけれどもお金がかかるからやりたくないとか、その敷地に割り当てられている未使用の容積を使いたい(もっと大きなヴォリュームの建物を建てたい)というのが本音で、その隠れ蓑に「老朽化」や「耐震性能不足」が使われていることが多いと思われます。
「ソフトに関わる手法」は、残して再利用するためのコンセプトの策定や、保存を支援するための法律や補助金の整備など、建物を生かして使うための手法を指しています。保存に際して、現行法規との不適合、所有権の侵害などが問題になることが多いのですが、それは現代社会の仕組み(法や所有権のあり方など)が完全ではないことを気づかせてくれる機会でもあります。保存という行為は「いま」を問い直すことでもあり、現代社会の問題をクリアに見せる「断層」のようなものだと私は思います。また、モノのつくり方の再考をうながす契機でもあり、ノスタルジックな運動ではなく、現代社会を見つめ直そうとするきわめて「現代的」な動機に支えられています。
以上述べたことをもとに、愛知県立芸大の建物について考えて見たいと思います。
配置図を見ると、吉村順三設計事務所の計画が敷地との対応に実に細やかに配慮したものであることがわかります。既存の地形を尊重しながら、そこに建物を慎ましやかに建てようとする意図が感じられます。この計画を受託した時に設計者の吉村順三(1908−97)は当時の桑原幹根(1895-1991)知事に周辺の緑を守るために周辺敷地を買い足すことを進言し、桑原知事がそれを受け入れて現在の良好な環境の基盤ができたと聞いています。
吉村は、県立芸大が音楽学部と美術学部の2学部体制であることを念頭に、それぞれの学部が必要とする機能を敷地内に展開しつつ、大学としてのまとまりをつくるために、キャンパス中央に背骨のように講義棟を配し、それをピロティで持ち上げて下を自由に通行できるようにして、両学部のつながりにも配慮しています。この講義棟では廊下を教室の下に設けることで両サイドが窓にでき、教室の独立性を守りつつ、採光や通風にも都合がいいという、きわめて珍しい、気持ちのいい学びの空間がつくられています。また、この講義棟端部に直交するように2学部をつなぐ渡り廊下を配し、その近傍には、2つの学部の学生の利便性や交流に配慮した図書館や学生ホールなどが設けられています。それらがキャンパスの骨格を決めています。
個々の建物にもユニークなアイデアが込められています。たとえば図書館では外周の窓上に沿ってダクトを回し、その吹き出し口を端に寄せて配することで、室内の空気が室内をぐるりと回りながら、中央の階段室を通して下に流れるという独創的な空調システムが見られます。また、外光をできるだけ採り入れるために、窓を大きくしただけではなく、屋根や床スラブを一体化して固めるべく、対角線方向に細かく梁を配するなど、目的にかなった構造方式が考えられています。奏楽堂では、大ホールを覆うために、2つの折板構造をホール上でつないで、その大きい方の屋根をホワイエとホールの境の柱列を支点にしてヤジロベエのようにバランスさせて、鉄筋コンクリート造折板の厚みを軽減するという、巧みな構造計画が施されています。この構造形式を採用したことで側面から外光を取り入れることが可能になり、日光が差し込むホールで音楽や演劇を楽しむことができます。ほかにも北側採光に配慮した美術学部のアトリエ群がキャンパスの造形にアクセントを与えていますし、音楽学部のレッスン棟を敷地に対応させて雁行形にするなど、細やかな気配りをベースにした、設計者による面白いデザインが随所に感じられます。
このように、当初計画に基づく愛知県立芸大のキャンパスには、配置計画にだけではなく、個々の建物、構造計画や環境への対応、そしてディテールに至るまで、継承すべき価値が随所に見出せます。場所の特性や、大学の性格・目的に対応しつつ、アイデアに富んだ技術をそれに重ねて、それと一体化した美しいデザインにまとめあげているわけで、それ自体が創作のあるべき姿を示す素晴らしい教材になっています。
私は、いい建物というのは、発見し継承できるアイデアをたくさん秘めているものだと考えています。時を超えて人々に示唆を与え、創作意欲を刺激し続ける存在だということです。愛知県立芸大がその好例であることはまちがいなく、これほどの素晴らしいキャンパスは、日本には見つけられないと思います(地形との巧みな対応という観点では、同じ名古屋にある南山大学もなかなかのものです)。
これから行われるであろう「保存」では、それらを含め、さまざまな価値に敬意が払われ、継承されるのでしょうか。単に必要とされる機能やヴォリュームを満たすものや、周囲の建物との関係に配慮しないものになる恐れはないのでしょうか。
最初の計画の時に吉村事務所が込めたアイデアやそれを体現したデザインが愛知県立芸術大学を”One and only”の大学にしていると私は思います。それを継承することがキャンパスでの新しい創作・演奏活動を支援する環境を維持することにつながるのではないかとも考えます。
以上から、キャンパス改修計画の際に、吉村順三設計事務所のデザインに対して特段の配慮が払われることを願っております。