愛知県立芸術大学 野田教授へ 卒業生篠田より
愛知県立芸術大学 野田教授へ 卒業生篠田より
2010/07/24
2010.07.24
愛知県立芸術大学 野田先生
雑誌C&Dを読み、ネットで公開されている議事録やプランも見ました。改修計画の噂を聞いた頃は、デザインの先生たちが現場にいらっしゃるのだから卒業生が心配しなくてもあのキャンパスがなくなることはないでしょう 程度に考えていました。でも今、新しい寮と朽ちた公舎を見て現実を認識させられました。
C&Dの中で三沢さんの書かれた記事中40年経って“木、植物が邪魔で”というフレーズが3回も出てきます。これを読んで私の在学中に 寮付近の外灯が暗いので追加してほしい という要求に対して照明も含めてデザインされているのだからむやみに変えられないというような回答があったらしく それに対してインダストリアルデザインの学生が建築家ってそんなんかよ、と怒っていたのを思い出しました。偉い建築家が設計当初のコンセプト通りにみんなが幸せに使ってくれていると思い込む この上から目線が今回のような事態を世界中で招いていると思います。私は、モダニズムや現代建築は、専門家にしか愛されないのではないかと思っています。愛知芸大もDOCOMOMOなどがなければ消滅するほど一般の人の日常とかけはなれている有名作品の一つではないですか。
解体された教員住宅に住んでいらっしゃった建築以外の先生がどれほどあの住宅を我が家のように思って解体を嘆いたのでしょうか。学生の中に教員住宅の解体を大事件と感じて映像作品を残そうとした人はいるのでしょうか。音楽科は、新しい計画がいいと思っているのではなくて今のレッスン室が“嫌”なのでしょう。それは私の在学中も音楽科の友人から聞いて感じていました。時々音楽棟の方で美術の学生たちにとっては、見慣れない雰囲気の服装で学校にみえる先生を見ましたが その先生が高級車で乗り付けてから音楽棟までのアプローチ、音楽棟の入り口の雰囲気が不釣り合いで美術側から見ると滑稽に見えるのが気の毒だったのを思い出します。
愛知芸大の改修計画は、モダニズム建築は私たちを幸せにしたのか を再考するよい機会だと思います。モダニズム建築をどのように残してそれぞれの時代にあった使い方に改修できるかの検討は、非常に丁寧に根気よくスタディされ、成功すれば世界的にも価値ある計画となるでしょう。ここで解体、新築にしてしまうのでは、世界が解決しようとしている共通のテーマを放棄することになります。芸術大学としてそこまでの罪を犯すなら 例えば、解体が決まっているものから建築やデザインの学生たちが図面と実測をもとに3Dデータにして公開してスカルパのアーカイブのように世界中から誰でもダウンロードできるようにするとか、考えられますか? 解体前は、空いている状態なのでまたとない実測のチャンスでしょう。せめて建て替えたあとオリジナルは、こんなふうだったのかと思えるようなものを残せないでしょうか? このような計画なら建て替えられてもどうせ30年後には、また壊すかもしれません。そのころ実測に参加した学生が活躍する時期で彼らのどこかに設計の理念の種まきがされているのではないでしょうか? イタリアのように改築されて何年も経ってからまたオリジナルに建て替えるという場合もありますから。
吉村門下生や卒業生、建築関係者が愛知芸大の価値を訴えても懐古的とか専門家同士で讃えあっていると思われてしまうかもしれませんので今後、できるだけ違う分野の方にこの件に関心をもっていただくようお話していきたいと思います。
篠田 望